金魚撩乱

岡本かの子
1889(明治22)年3月1日、東京赤坂青山南町の大貫家別荘で生まれる。本名カノ。跡見女学校卒業後、与謝野晶子に師事し、「明星」や「スバル」に短歌を発表した。明治43年、上野美術学校の画学生岡本一平と結婚。翌年岡本太郎誕生。しかし、それぞれの強烈な個性が激突し、かの子の身内の不幸も重なって、結婚生活は破綻した。その結婚生活の地獄を乗り越えるため、夫婦で宗教遍歴をし、大乗仏教に辿り着く。1936年、芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』によって文壇に登場。その後、『母子叙情』『金魚撩乱』『老妓抄』などを発表。1939年(昭和14)年2月18日、脳溢血にて死去。金魚撩乱
今日も復一はようやく変色し始めた仔魚(しぎょ)を一匹(ぴき)二匹(ひき)と皿(さら)に掬(すく)い上げ、熱心に拡大鏡で眺(なが)めていたが、今年もまた失敗か――今年もまた望み通りの金魚はついに出来そうもない。そう呟(つぶや)いて復一は皿と拡大鏡とを縁側(えんがわ)に抛(ほう)り出し、無表情のまま仰向(あおむ)けにどたりとねた。
縁から見るこの谷窪(たにくぼ)の新緑は今が盛(さか)りだった。木の葉ともいえない華(はな)やかさで、梢(こずえ)は新緑を基調とした紅茶系統からやや紫(むらさき)がかった若葉の五色の染め分けを振(ふ)り捌(さば)いている。それが風に揺(ゆ)らぐと、反射で滑(なめ)らかな崖(がけ)の赤土の表面が金屏風(きんびょうぶ)のように閃(ひらめ)く。五六丈(じょう)も高い崖の傾斜(けいしゃ)のところどころに霧島(きりしま)つつじが咲(さ)いている。
崖の根を固めている一帯の竹藪(たけやぶ)の蔭(かげ)から、じめじめした草叢(くさむら)があって、晩咲(おそざ)きの桜草(さくらそう)や、早咲きの金蓮花(きんれんか)が、小さい流れの岸まで、まだらに咲き続いている。小流れは谷窪から湧(わ)く自然の水で、復一のような金魚飼育商(しいくしょう)にとっては、第一に稼業(かぎょう)の拠(よ)りどころにもなるものだった。その水を岐(えだ)にひいて、七つ八つの金魚池があった。池は葭簾(よしず)で覆(おお)ったのもあり、露出(ろしゅつ)したのもあった。逞(たく)ましい水音を立てて、崖とは反対の道路の石垣(いしがき)の下を大溝(おおどぶ)が流れている。これは市中の汚水(おすい)を集めて濁(にご)っている。
